院長   岸 義康  <プロフィール>

 

 

 

 

 

 

≪出生~幼少時の環境≫

1941年2月、群馬県高崎市(当時は群馬郡金古町)で、父親が柔術指圧療術を生業としている家に、

8人姉兄の末弟として生まれる。一番上の姉との年齢差は22歳。写真は親子のようだが、実は姉である。

治療する父のそばで、よく来院患者の膝に抱かれていたが、終戦の玉音放送も、この状況で聞いた。

実兄二人は、陸軍と海軍に出兵し、母方の伯父も海軍中将として戦った。

終戦後、兄たちは疲労しきって帰宅。また、伯父も海軍中枢として、早期和平終戦のために動いていたため、

戦犯にはならず、世田谷の家に戻ることができた。

 

実家の母屋の奥の8畳間が、当時の治療室であった。

部屋の壁一面には、人体図や骨格図、筋肉・ツボ図が貼られており、もの心ついたころから自然に視覚に

入り、また、脳裏に刻まれていった。

そのことが、今日、定年を過ぎてから治療院を開くことになった原点である。

 

兄二人は、中学では柔道部の選手。次兄は中2のとき、海軍予科練に志願したが、群馬で二人のみが合格という難関を突破する優秀な兄であった。特攻で飛び立つ寸前で、終戦を迎えた。

兄2人、姉5人という、8人姉兄の末弟だったが、兄達には、物心ついた頃から柔道の技で投げ飛ばされ、姉達は皆、優しくそれを見守ってくれていた。(もっと身長が伸びることを期待していたが、かなわず。)

当然のように柔道部に入り、白帯のままだったが、黒帯を右背負い投で投げるのを得意としていた。この事も開院の発端になっている。

また、詩吟や筆書等は、実家の日常の中で、父や兄貴たちを見ていて自然に身に付いた。

これも現在“気功療術”の呼吸法等、また、対人関係の元となっている。

 

≪療術の基礎~現療術までの流れ≫

さて、父の施術は単なる指圧でなく、今思い返してみると「静圧触気功療術」であった。

当院施術の創者は「鹿児島・示現流」気活四代目野田幸造であるが、厳しく強く気を入れる「強圧入気功療術」である。

これに比べ上州箕輪城剣術指南・新陰流の「岸 監物(キシ ケンモツ)」の気質を幾ばくか汲む「柔術指圧療術」を開祖したのが、

父の施術であった。

 

<真>二つの療術を併合、改良改善した「触気功療術」とは、身体構造、また、血流・気流を快復・改善する施術である。

 

<動>幼少期からの右腰への負担が元で、「脊椎管狭窄ヘルニア症」となり、30年前(40歳代)に<早期手術が必要>と宣告された

   がその克服が源である。

 

<実>父親の業は、長姉と二人の兄が兼業として行い、各々患者を診ていた。

   自身は独立系大手證券会社に技術者として入社。同系列不動産会社で、60歳の定年まで勤め上げたが、常に厳しい業務の

   中で、腰痛と付き合いながら激務をこなす状況であった。

 

<経過~野田幸三との出会い>

   40歳代に入り、右腰を原因とした“ギックリ腰”を6回ブロック注射で凌ぎ、7回目は迎えの車に乗り込む足を掛けた状態で一歩

   も動けなくなり、(昭和50年代に開業した)板橋の“ギックリ腰110番”に担ぎ込まれた。

   即、“ベッド牽引”を二人掛りで引かれ、ビックリ腰状態の中で、次に、強烈な“電気気功”を一発腰に入れられ、即業務復帰。

   翌日は“七転八倒”する状態の“背部気功”を5分間施術され、以後ギックリ腰は出ていない。

   正に、示現流“気活施術”の荒業施術=当時10万円(初診料含)だった。今では、療術内容も改定し、改善・改良した内容での

   施術となっている。

 

<結>50歳代になると、さほど厳しい腰椎状態には至らず、背・肩・腰から大腿・膝・踵までの重痛が多かったが、当時は整形外科と

   マッサージ(週3回~4回)を受けることで、多忙な業務をこなしていた。

   しかし、腰痛はより厳しくなり、勤務するビル内にある整形外科で“石膏型”を取り、全ての靴底へ“特製中敷き”を入れたが、

   その甲斐も無く、踵激痛で夜半目覚める状態となっていった。

   ちょうど、同輩が “ギックリ腰”となり、紹介を兼ねて日本橋の110番へ。

   その折、自身の腰状態の悪化を指摘され、約15年目で“施術2セット”実施。

   1週間後、“特注した靴底”はすべて廃棄し、整形外科、マッサージも一切通院無しになった。

 

<教訓>特に慢性腰痛者は、構造体を調整し、凝固する筋肉系を緩め、気流・血流を改善し、身体を快復状態に置くこと!! という

   教訓を得た。

   その時から、“当施術”が成す<内気高揚と自己治癒力増強>を実感し、その後の体調は絶好調の中、社業の推進を図るこ

   とができた。

 

<結論>その後の定年までの3年間、社業はますます多忙ではあったが、“忙中閑”自身の定期治療と併せて、当療術の普及を行っ

   ていた。

   また、同時に、改めて“気活練功”を行った。(複式呼吸による体内気量の蓄積と気療術の鍛錬を日常体調管理として実行。

   詩吟も練習を本格的に再開した。)

 

定年後、さて、この後の人生を何に掛けるべきか。

そう自分の人生を考えたとき、幼少期に見てきた“父親の業”が、鮮やかに蘇った。

自身が苦しんできた腰痛、また、諸症状を改善でき、ゴルフも日常生活も支障なく過ごせるようになった経験から、同じように苦しむ方々を少しでもその苦しみから救いたい、という強い気持ちからの転身である。

 

平成26年3月1日、開業10周年を経過した。

 

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